2015年08月09日更新
「情報の空白地帯」を埋める:一般社団法人情報支援レスキュー隊(IT DART)創立総会レポート
2015年3月、仙台にて開催された国連防災世界会議でIT DARTのワークショップに参加してユレッジにてレポートしました。8月8日、一般社団法人情報支援レスキュー隊(IT DART)が創立され、その総会とワークショップが…
2015年10月02日
被災、という言葉と、復興という言葉。防災ということを考えるにあたって、直後の災害対応について考えるだけでなく、より長い時間軸、人や街や共同体が新しい姿を模索していくことを中長期的な視点で捉えることは、このユレッジというプロジェクトが一定の役目を終えていないとする、一つの重要な論点ではないかと思っています。被災という言葉のある意味での卒業、或いは、復興という言葉の終わり、というのは何か明示的な定点の区切りで起こることではなく、それぞれの場所や、それぞれの人、それを取り巻く社会や環境において、徐々に移りゆく、揺らぎのある変化なのではないでしょうか。
ユレッジではおよそ今から2年ほど前、2013年の5月に、当時、ISHINOMAKI 2.0のメンバーとして東日本大震災後の石巻のまちづくりに取り組まれていた渡邊享子さんに寄稿をいただきました。
「【防災】の制約を超えていく社会と環境のデザイン」 – 渡邊 享子 / 日本学術振興会特別研究員 / ISHINOMAKI2.0 – ユレッジ : 日本の「揺れやすさ」と地震防災を考えるサイト
あれから2年が経ち、2015年の9月27日、石巻ではCOMICHI石巻というシェアハウスと商業施設の機能を持つ、新しいスペースがオープンしました。そこに至る道程は、震災以降、被害を受けた土地の地権者の方々、まちの人々、専門家、専門業者、そして公的なサポートも含め、多くの「ヒト」「モノ」「コト」を巻き込むことによって進められて来た「まち」を「つくる」ための「プロジェクト」でした。そのオープン当日を取材させていただきましたので、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
COMICHI石巻のCOMICHIには「Community with Interaction, Creativity, History, and Innovation(交流と創造力、革新のあるコミュニティー)」という意味があります。COMICHIという言葉で思い浮かぶ通り、この施設は松川横丁という小路に面しています。このエリアは古くから港町として栄えた石巻にあって、長旅から帰って来た人たちが川岸から少し歩みを進めて路地に入り、労を癒やすのに利用された老舗の飲食店が多くひしめくエリアだったそうです。震災前にも飲食店8店舗が軒を連ね、しかし、半分が津波で被災、木造2棟を残すのみとなり、石巻の中心市街地にあって、この土地をどうしていくのか協議が進められて来ました。
プロジェクトの発起人でもあるLLC.MYラボの阿部紀代子さんからは「1人で立て直すのではなく、皆で立て直す」というお話がありました。このプロジェクトで考えてきたのは「身の丈にあった住みやすさ」ということなんだそうです。そのために重要視されていたのは、「プラン」つまり計画、ではなく、「プロセス」つまり過程でした。
COMICHI石巻の事務局も勤める渡邊享子さんによると、この5年間の間にプロジェクトは大きくこのようなプロセスを経て来たそうです。
まちづくりとは何か→設計→どういう人が住んで欲しいのか→事業の資金計画・事業計画→テナント出店希望・プロデュース→企画・ブランディング・詳細の設計→着工→上棟式
こういった段階を経る中で、折々でワークショップの形を取ったり、イベントの形を取ったり、あるいは飲み会の形を取ったり、多くの対話の機会を持ちながら、地権者の方々、まちの人々、専門家、専門業者、そして公的なサポートを巻き込んで、工費の高騰や建築需要の増大というアゲインストもありながら、ゆっくりしかし着実にプロセスは進められて来たと言います。地域の多世代に関心を持ってもらいつつ、地域の高校生にDIY施工を手伝ってもらったり。渡邉さんの以前の寄稿の
現在、コミュニティ・デザインと呼ばれている参加型デザインによる空間の表現の実現は1960年代、半世紀も前に端を発するものでした。しかし、空間とシステムが切り分けられ、共感できる一つの絵としての計画に集約するプロセスにいかに参加するかが論点となっています。
という言葉にもある通り、多くの人がそのプロセスに参加することになったこのCOMICHI石巻は、「オープン前に、まちの人が皆知っている」という状態を実現できたと言います。
記者会見で特に興味深かったポイントとして、コストマネージメントやリスクマネージメントについて、設計・事業コーディネートを担当したLLC 住まい・まちづくりデザインワークスの野田明宏さんからご説明がありました。COMICHI石巻は「優良建築物等整備事業」という国のプログラムを利用して建造されており、このプログラムが石巻で利用されるのは初めての試みということでした。建物は鉄骨と一部木造という形になっていて、地盤が弱いこのエリアにあって、鉄筋コンクリートは支柱をかなり深いところまで打ち込まねばならず、構造物の重量を「軽く」することが、コスト削減に繋がっているそうです。地権者の方々や、入居する人たち、そして街の人たちに過度な負担をかけない。こうした試みも「身の丈にあった住みやすさ」を実現するための、大事な工夫なのだろうと思います。
また特徴的だったのが、シェアハウスに入居する人たちは石巻へのUターン、ないし、Iターンをして来た震災時に石巻に住んでいなかった人たち、商業施設で営業する「Ciel etoile(シェルエトワレ)」、カジュアル洋食ダイニング「SANGI(サンギ)」、シャンパンと一緒に寿司が楽しめる「樹琳(きりん)」という3つの飲食店も、周辺で営業して、この場所で新しい挑戦を始めたい店舗、ということで、この施設の入居者自体が「石巻の新しいまちづくり」にコミットするメンバーにになっているということです。
震災後、仮設住宅に住む人も多い中、このことについてはなかなか理解を得るのに時間もかかった、と渡邊さんはおっしゃっていました。けれども、石巻の松川横丁とその周辺で育まれて来た文化や歴史という文脈、そして震災で失ったものを立て直すという未来に向けたアクション、これまでとこれからの融和のためのジョイント(結合部)として、このCOMICHI石巻は作られたのだろうと感じます。COMICHI石巻というプロジェクト自体が、石巻の街に向けたメッセージになっている。
記者会見でご挨拶をされていたLLC.MYラボの阿部さんは「今日が終わりではなく、どういう街にしていくかという始まり」という言い方をされていました。メッセージは、より多くの人の思いを乗せて、より強い意味を持ち得ます。COMICHI石巻で行われたコミュニティ・デザインは、そのコミュニティ内に留まるだけでなく、そこに接点を持った様々な人々とのコミュニケーションへと育っていくのではないでしょうか。
渡邉さんは防災について、以前こういう言い方をしています。
被災した石巻の中心市街地に住みたいという移住者に「津波の危険は考えないのですか」と、聞いたことがありました。これに対して「高台にいるよりも揺れたときに職場やよく知っている人がいる中心市街地にあえて住みたい」とお話をいただきました。このように物理的空間の問題にとどまらない生活の豊かな考え方が、防災に対して土木構造物よりはリアルな実感をもってつながること。防災とは、社会や環境と上手につきあうことなのだと腑に落ちた気がしました。
今回、石巻を訪問していた時に、地元の方と防潮堤のお話になりました。防災対策として、国の規模で街を守る仕組みが果たすべき役割もあるでしょう。ただ、「社会や環境と上手につきあう」、つまり、きちんと機能するコミュニティを新しいまちの中にも生み出すCOMICHI石巻のような試みは、「身の丈にあった住みやすさ」が防災にもリンクする、ということに気付かされます。
建物にも現実的な解決策として防災の視点は活かされています。震災時、鉄筋コンクリートの建物は津波によって壁ごと押し潰されたものが多かったそうですが、今回の鉄骨と一部木造という構造体は、壁こそ流される可能性はあるにしても、構造体として残る可能性は高いそうです。また、この地域は震災後も大雨で浸水の被害を受けることが多く、建物の地面を道路から30cmあげてあるということです。
災害対策は一意の問題に対して一意の解決策がある、というものではなく、複合的な問題に対して、複合的にでき得る(現実的な)解決を考えていくアプローチが必要だと思います。防災は「住みやすさ」「暮らしやすさ」「便利さ」「美しさ」「負荷のなさ」様々なことと共存しなければならないからです。そういうところに、自然に相対しなければならない時の人が為すべき「工夫」があるように思いませんか。
駆け足ではありましたが、COMICHI石巻を通した石巻のまちづくりについて、そのプロセスの意味を考えて来ました。その上で、このプロジェクトは街の人のためのもの、いろいろな気持ちを抱いてるのは街の人だろうなと思います。ただ、あれほど甚大な被害を受けて、日本の色々な場所に住む人にとって、「被災」や「復興」について考える機会は生まれ、そこに確たる答えは未だ用意されてないようにも思います。
COMICHI石巻のような新しいまちづくりの事例が、石巻という街で生まれたことは、我々が「防災」ということを中長的な時間軸で考える上において、モデルケースにもなり得るでしょうし、希望でもあるのだろうし、もう少しくだけた言い方をすると「明るいニュース」なのではないでしょうか。
そんな思いを込めて、石巻のまちづくりのレポートでした。
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