2015年10月02日更新
「まち」を「つくる」:COMICHI石巻 ー災害後のまちづくりを考える
被災、という言葉と、復興という言葉。防災ということを考えるにあたって、直後の災害対応について考えるだけでなく、より長い時間軸、人や街や共同体が新しい姿を模索していくことを中長期的な視点で捉えることは、このユレッジというプ…
2013年05月29日
いつ頃からだったか、大きなことから小さなことまであらゆる被害に対して何者かの「責任」が問われるようになりました。
子どもが学校で刃物を使ってけがをすること。川岸に近寄ってけがをすること。大きな土木構造物が劣化してそれによって被害がでること。地震や津波によって何万人も人が亡くなること。原子炉から放射能が流出して街が死んでしまうこと。
「責任」をめぐるごく身近なレベルの社会のゆがみは現在、我が国の社会問題として露呈している数多くの問題につながっているように感じます。こうした社会の問題を通して、防災と最近トレンドと化してきた「コミュニティ・デザイン」の具体的な中身について、この場を借りて考えてみたいと思います。
2011年3月11日当日、私は新宿西口のビル街のど真ん中にいて、都庁のツインタワーからちょうどおりてきたところでした。
長くて弱い初期微動がきて、停車している車にのっている人がとてつもない揺れを感じて車を飛び降りてきました。そのうち地鳴りがして、普段は壁のようにそびえ立っていたビルがゴム棒のようにゆらり、ゆらりと揺れていました。自分の中で、「社会」と思っていたすべてのものが機能を一時停止しました。
30分後、南口からはJR東日本の社員が長い列をつくり、長い夜を覚悟した面持ちで、各々の持ち場へと出動していました。主要な交通手段であった鉄道は停止し、普段歩きなれた道は筆者を含めた帰宅難民や車であふれました。
翌々日には、福島第一原子力発電所の事故が大々的に報じられ、計画停電なる政策が実施され、都市部ではなんとも陰鬱な雰囲気がながれていました。
これまで、シミュレーションとして想定させられてきた事象が具現化し、とらえどころのない社会の、何者かを攻める「責任」が、見えないプレッシャーとなって首都圏の市民に襲いかかってきました。
こうした一つの要因となっていたのは、メディアで映像として与えられる情報と現場の空気感とのギャップだったのではないでしょうか。
計画停電からの節電、買い占めによる米や牛乳の入手困難といった小さなストレスが見えない災害に対するとてつもないプレッシャーとして積層し、マス・メディアから伝えられる「悲惨さ」が、何に向かったらいいのかわからない不安感につながっていきます。
不謹慎かもしれませんが、当時、修士課程の学生だった私は研究室のメンバーと、こうしたプレッシャーやもやもや解消するために、宮城県石巻市中心市街地を訪れました。ですので、最初にきたのは5月の中頃でしたが、リアルな現場を目にし、コミュニケーションをとったことによってむしろずいぶん励まされました。
おそらく、励まされた最大の理由は、現場の人々はマス・メディアからの情報が届きにくい中で、リアルなコミュニケーションを築き、環境の改善にむけて日々、何かやるべきことに追われていました。
そうした中で、見えないプレッシャーに追われる首都圏の住民たちへ、日本中の人々へ、現場の現状やリアルな声を発信するという「やるべきこと」を私たちは被災者の人々からいただいたのでした。
合併前の石巻市は、北上川の河口付近での米の積出港/川湊として発展しました。河川沿いには、江戸時代に仙台藩の米蔵がならび街の中を水路が通って、荷物が運搬されていました。
「石巻」は、当初現在の中瀬地区対岸のごく小さなエリアだったのです。
こうして発展した流通網と、周辺の浜でとれる豊富な水産資源を背景として明治期以降、水産加工業が発展しました。大正期には民間の石巻魚市場のシステムを整え、戦後は下火になりますが、戦後、漁船の大型化に伴って海岸に加工団地が造成され、生産規模も拡大していきました。
こうした流れの中で、地域内では市場が生産物を消化できなくなり、生産された大多数の商品が、大消費地にむけて出荷されていきます。また、公的なシステムとして成長した魚市場の機能により地域内部の流通は集約され、浜では漁協が封建的な役割を得ました。こうして、いわゆる地方中核都市の期間産業は日常的なレベルでは体感し得ない規模に広がり、同時期に急速に進んだ郊外化は生活と産業の分断を加速させたと言えるでしょう。
このように6次産業的なエコロジカルな産業の循環は、生産と消費の肥大化による大量生産や効率化受け入れるプロセスの中で1次・2次・3次とバラバラに解体されました。
大量生産を受け入れるプロセスや、大きな構造物の建設は残念ながら「街」としての循環を奪い、人を社会と環境から隔絶するプロセスそのものだったといえます。
こうした合理性のために海岸線が造成され、加工機能が集約されたために津波によって壊滅的な被害をうけました。住宅地に関しても然りで、旧石巻市内では南浜や渡波など日本製紙や加工業への従事者向けに海沿いに開発された市街地が大きな被害を受けました。
こうした中で、「川湊」や「浜」といったアイデンティティをキーワードに暮らし方そのものをブランディングしようと、たくさんの社会起業家たちが石巻にあつまり始めています。
規模の経済を捨てられない今、住まいの問題と産業の問題を都市の中でどのように連関させて考えられるかが課題です。問題は、政策としての産業化とそれを支える郊外の住宅供給は、実は一体の政策として行使されてきた一方で空間的には断絶を余儀なくされた点です。
例えば、石巻の中心市街地の建物ストックは基本的には住商併用型の建築が多く、居住部分は下水や風呂場などの水場が現在でも未整備の建物も数多くありました。一方で、銭湯や映画館など公共のRe-Creationのための施設が点在し、「まち」として生活空間がシェアされていました。
ところが、国レベルのマクロな住宅政策のなかで、「(核)家族」という標準的モデル単位が定義され、郊外の田園地帯が一気に開発され、モデルに合わせて企画された住戸が大量に供給されています。
こうした大量生産の仕組みによって生み出され、市街地の人口バランスは簡単に変化します。その結果、職業やコミュニティといった生業の結びつきとは空間的に切り離されて、「そこに家があるから住む」人々を市場が受け入れ続ける構造をつくりあげました。
おそらく、1970年代、産業規模が拡大される時代とリンクしているこの事態は、広大な市街地が被害を受け、被害を受けた人々に向けた住宅が大量供給されるこれらかの被災地でも繰り返されるでしょう。
そうした中で、生活とその中の人々との連関で環境を選び取る人々を応援したいという思いのもとで始めたのが、被災地での「移住支援」としての石巻2.0不動産のスキームです。
例えば、ただの箱に近いとも言えるような築80年の木造の平屋を、改修をサポートしながら入居者に引き渡すと、その家の中にはたくさんの表現する余地が広がっています。こうした、場所を仲間と一緒に直しながら住むことで、入居者にとって自分なりの空間が表現されていきます。
こうした空間創造の積み重ねは、一見ちぐはぐな街をつくるかのように感じられますが、表現の余地を残すことによってデザインの可能性は無限大に広がります。
一つのデザインに統一された街よりも、最大限のデザインが積み重なり相乗効果を生み出す可能性を、移住者が街に定着するお手伝いを続けることで生み出せればと考えて、日々試行錯誤を繰り返しています。
被災した石巻の中心市街地に住みたいという移住者に「津波の危険は考えないのですか」と、聞いたことがありました。これに対して「高台にいるよりも揺れたときに職場やよく知っている人がいる中心市街地にあえて住みたい」とお話をいただきました。このように物理的空間の問題にとどまらない生活の豊かな考え方が、防災に対して土木構造物よりはリアルな実感をもってつながること。防災とは、社会や環境と上手につきあうことなのだと腑に落ちた気がしました。
石巻の中心市街地は、前述したように交易のための船から荷物の積み降ろしを背景として栄えた歴史を持つため、堤防がなく、水辺を間近に感じられる空間でした。
ところが津波が直撃し、川辺にはあおい景色をきりさくようにトラロープが張られ、「危険なので絶対に入らないでください」と無機質な赤字でかかれた看板とトラロープが張られるようになりました。そのうちにコンクリートの無機質な簡易堤防が築かれ、ゆくゆくは4m以上の堤防が築かれるそうです。
一方で、冠水し、地盤沈下のために一回り小さくなった旧北上川下流の中瀬地区は干潮時と満潮時の水位の差で水辺の遊歩道が見えたり、隠れたりしながら時間の流れを感じさせてくれる空間となっています。この空間は、復興計画の中で非居住地区として位置づけられるため、今後も唯一の無堤防地区として水辺との距離感を認識できる空間となっています。
津波後の風景の問題を考える時、惜しまれるべきなのは風景が変わってしまうとこではないのだと思います。不謹慎に思われるかもしれませんが、先ほどの冠水してしまった風景のように破壊され、変化したからこそ見直される自然との関係性や、失われて初めて共有される風景もあったのだと思います。
問題なのは、あらゆる「危険」がオーソリティに対する「責任」へと転換され、責任を負うことをおそれた権威的な立場の人々が、物理的に壁をたてることにより人を環境から隔絶し、「安全」の中に閉じ込めることです。
「足を滑らせて危険なので川辺に近づかないでください」とか、「万が一、地震がおこったら危険なので使わないでください」という禁止や自粛によって、「活用する」という可能性が縮小されていきました。
一方で、多額の予算がつけられ、一部の大人が設計した屋内の空間で、用意されたプログラムをなぞることや、刃物を持ち込まない安全な学校空間の中に長時間拘束し、暗くなったら家の中に帰ることがモデル化され、子どもから自ら考えて遊ぶ機会を奪っていきました。こうした、モデル化と施設の大量生産は多くのマネーをうみ、雇用につながっていきました。
こうした責任をめぐる無責任な自粛や禁止は震災後、街の中が徐々に平常時に戻っていく中で加速して行きました。
こうした中で、津波が押し寄せてきた流路の、ど真ん中の中州の公園の再生の仕方を考えています。子どもたちを、屋外の空間にリリースし、試行錯誤で環境を創造する。環境と人とのつながり方をデザインする方法を考えています。
まずは、子どもたちと一緒に、中瀬を歩いてみて周りながら、写真をとってその時に感じた気持ちを表現してもらいました。
傷ついた水辺の空間に戸惑いながら、再生していく空間に対して希望を感じていました。また、身近な水辺の空間で船を浮かべたり、水面に反射する光をあえてとったり、落ちている瓦礫や木の川の様子に反応して、水辺と自分との関係性を自分なりにデザインしていました。
先日、ゴールデンウィークの時には、実際に中瀬公園を使って子どもと一緒に遊び場を作る企画を開催しました。
中瀬は、非可住地区の為に、復興計画の中で後回しにされ、なかなか公的な整備が進んでいないのが現状です。こうした中で、計画が確定するまでの間、常設の遊具などを設置することができず、仮設的に使いながらその時間をつないで行くことが必要になります。こうした中で、壊しても作れる遊び方を提供しています。
子どもたちは自分たちの独自の創意工夫で、捨てられる前に拾ってきた段ボールで、映画館や迷路など、独自の世界を中州の広場に作って、何度も繰り返し遊んでいました。
あるいは、屋外での木工作では、子どもたちは自然の中に落ちている様々な材料と端材を組み合わせながら、学校では手にできないような、のこぎりやナイフを手にして独自の世界を組み立てています。
個々の子どもたちのデザインの可能性を最大に引き出し、それらが積み重なった空間は、確かにもとは「ゴミ」だったバラバラなものたちの重なり合いでもどこかクリエイティブで、環境の一部として溶け出しています。
10年後に完成された計画や何十億もかけてつくられた施設を待つことよりも、それに向かっていけるように。例え毎回壊さなければならなくても、市民の憩いの場として使われる日々の事実を積み重ねそこが、中瀬の広場を「公園」にしていくのだと思っています。そのためには、防災の為に使用の制限を掛けるのではなく、「使う」という前提で、それに向かう空間を運営する仕組みをつくっていくこと、そしてそれが空間デザインとして表出していくというプロセスを組み立てたいと思います。
「責任」は大きな構造物をつくり、その先につきまといます。こうして作られた施設たちは人を環境から隔絶し、考える力を奪いつつあるといえるのではないでしょうか。
責任を逃れるために、すべてを計画で覆い尽くすのではなく、使い手や住まい手が自分を表現できる余白を引き渡すことが、もしかしたら「まちづくり」と呼ばれる分野に新しい可能性を与えるのかもしれません。こうした、独自の環境創造のプロセスは、街と人、自然と人とのつながり方を可視化させて行きます。
現在、コミュニティ・デザインと呼ばれている参加型デザインによる空間の表現の実現は1960年代、半世紀も前に端を発するものでした。しかし、空間とシステムが切り分けられ、共感できる一つの絵としての計画に集約するプロセスにいかに参加するかが論点となっています。
こうした中で、これからの環境とコミュニティ(社会)のデザインは集約に向かわなくてもよろしいのかと感じています。多様なDOの積み重ねの先にある人と環境との関係性を、いかにデザインとして表現していくかが持続的なまちづくりにむけたキーになるのだと思います。
参考文献
三浦丈典『こっそり ごっそり まちをかえよう』2012年、彰国社
佐々木葉二他『ランドスケープの近代 建築・庭園・都市をつなぐデザイン思考』2010年、鹿島出版会
など
渡邊 享子 / 日本学術振興会特別研究員 / ISHINOMAKI2.0
1987年生まれ。2010年お茶の水女子大学卒業。2012年東京工業大学大学院修了。
2011年、修士課程在学中に震災が起こり、研究室のメンバーとともに東北最大の被災地石巻へ。ISHINOMAKI2.0の設立に立ち会う。その後、博士課程に進学し、石巻に居住しながら実践的なまちづくりを研究中。
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